'アウトプット練習帳'

アウトプット練習帳

アウトプットの練習をするブログ。呼んだ本や勉強内容、なんてことはない毎日について記す。まずは3回以上の更新を目標に。。

聖書のコンテンツを"用いる"アニメ・ゲーム・マンガ

 

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ストーリーを描く時、ひらめき・ネタが必要となる。
時にネタ出しの一助となるのが、歴史だ。「三国志」をそのものをテーマとした漫画小説は多いし、江戸、ヨーロッパを舞台にした作品は数多くある。
横山三国志、キングダム、JIN、蒼天航路イノサンヒストリエ...漫画だけでもこれだけあろうか。

 

設定として

設定や要素として、しばしば目にするのが一神教の聖書の内容だ。ミカエル・ガブリエルといった天使の名前や、7つの大罪といった概念、バベルの塔といった聖書の一節等等...もはや見た事が無いという方が難しいだろう。
今回は一神教を要素として取り入れた作品を見てみようと思う。

 

新世紀エヴァンゲリオン

早速20年現役の大御所、エヴァンゲリオンである。作中でもアダムとイヴの話に言及が有るが、聖書にSF的解釈を付け加えた作品とみなすこともできるかもしれない。

思いつくだけでもこれだけ出てくる。なんとなく名前もかっこいいのもあって、これだけで重厚なイメージがわく(もともと重厚なストーリーだが)。ロンギヌスの槍とか、声に出して読みたい日本語で上位に食い込むに違いない。
ちなみに、現実の死海文書とは死海の周りで発見される文書のことで、単一の本ではない。いまではおよそ900ほどあるとか。
以下のサイトでデジタル化プロジェクトが進められており、誰でも読めるとのことだ。誰でもと書いたが、私には無理だった。
 Digital Dead Sea Scrolls

 

女神転生シリーズ(ゲーム)

だいたい一神教メインといっても過言でないのが女神転生シリーズだ。
女神転生はアトラスより発売されているゲームでシリーズとしては10を超える本数がある。ストーリーとしては、神話・民話に出てくる神々に翻弄されつつも滅びをたどっているorたどった終末世界を渡り歩いて行く、というのがいずれのシリーズにも共通する基本的な流れだ。シリーズによってはYHVHと戦うこともある、ロックなゲームである。
本ゲームでは日本神話やヒンドゥー北欧神話も含め、あらゆる宗教の神々が出てくるが、だいたいフラットに扱われている。
しかし、宗教も人気(人数)が正義、有名な方がゲームも盛り上がるので、当然一神教で関連する天使や悪魔は強さや話の役割といった点で優遇されやすい。高レベルのため、ミカエルやガブリエルといった大天使の方々はだいぶレベルを上げないとパーティーに入れる事ができない。
ちなみに私は、仲魔にすると見られる悪魔辞書の各悪魔を説明している概要をみるのが好きで、それだけで2時間はつぶれる。私以外にもあそこを読むのが好きな人いると思う。

諸々の漫画

漫画では、ガッツリと使われる事は少ないながらも、聖書のワードや組織といいた何かしらの要素がキーとして登場することが多い。

漫画ではひとつのソースを多用するよりも、他のモチーフとミックスしたり、ソースのひとつとなっている印象が強い。しかし、ワードとしては抜群に目につきやすいだろう。

 

受ける印象

思うに、一神教のワード、組織を用いると言葉に厚みが出るというか、凄そうな印象を受ける。心が中二なためか、未だにヨハネの黙示録とかエノク書とか聞くと何かかっこいいという印象を受けるのだ。語弊はあるかもしれないが、言葉や物、組織にブランドがあるのである。
創作ではハッタリを効かすことがひとつの面白さとなるので、権威あるところから引用するのはそういった意味があるのかもしれない。

アサシンクリードⅡとボルジア

ドラクエ11のプレイ時間が100時間を超えた。ネトゲではないシリーズナンバリングとしては8年、据え置きでのリリースは実に13年ぶりのドラクエということで大きな期待を背負っていた同作だが、期待に裏切らぬ面白さである。後日感想をかければと思う。

 

私は、ゲームではRPGが大好物だが、アクションゲームもプレイする。最近した中で面白かったのがアサシンクリードⅡである。

アサシンクリードⅡはルネサンス期イタリアが舞台としている。レオナルド・ダヴィンチとか、薬を意味するメディスンの語源となったメディチ家とかいる時期だ。

このアサシンクリードⅡでは最終的に悪政をしいているローマ教皇ロドリゴ・ボルジアを倒す(ネタバレ)のだが、ボルジアというのは実在した一族である。(最も、本ゲームの登場人物はボルジア家に限らず、実在した人物を元に描かれているが)

実在した、といことで彼らについて記された本が当然ある。今回は知っているとなおゲームが面白くなる本を紹介する。

 

 

チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷

それが、塩野七生著の『チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷』だ。

この本は史実に基づき、ロドリゴの息子、チェーザレがそのカリスマ性と権謀術数を用いてイタリア統一を目指す話である。

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                                  1520年に描かれたチェーザレ肖像画

 

このチェーザレ、野望の実現のためには兄弟姉妹に従者、教皇である父でさえも、その残虐さとカリスマ性をもって利用するだけ利用する。肉親であっても命を奪う事をためらわないその姿は、マキャヴェリの理想の君主の姿かもしれない。

だが、本書を読んでいると、戦国時代さながら、野望実現に向けてすすんでいくチェーザレに同調し、気分が高揚してくる。ゲームでは的だが、小説では主人公のチェーザレ。読んでみると器のでかい男だと思う事必定である。近くにいてほしくはないが。。

 

他にも

ボルジア家以外にも、知ると面白い魅力的な人物はいる。

アサシンクリードⅡにはカテリーナ・スフォルツァという女領主が登場する。彼女は一領主として実に豪気な振る舞いを見せてくれるが、スフォルツァ家は傭兵出身の成り上がり一族だ。

今のイメージでは軍隊というと国直属とか王直属のイメージがあるが、平時は生産を行わないただの金食い虫。それゆえ、大規模な軍組織を常時持つ事は財政的に難しく、ゆえに必要な時にだけ費用がかかる傭兵が主力の一端を担っていた。

軍事力があるというのは、当然政治に影響力もあるわけで、名のある傭兵隊長だったフランチェスコスフォルツァミラノ公として貴族に成り上がっていった。

ちなみに、スフォルツァは多くの傭兵に成り上がりの夢を見せたが、当のスフォルツァは文字通りこの成り上がりを空前絶後とすべく、後に続こうとする傭兵をバンバンと潰していたらしい。権力確保に余念がない。頂点はつねにひとつ。

ここらへんは菊池良生著の『傭兵の二千年史』の一節にも描かれているので、興味がある人は読んで頂きたい。

 

映画でもゲームでもマンガでも、良い作品はそれ自体が面白いが、

さらにその背後にあるストーリーでなお面白く感じられれば、一粒で二度美味しく感じられてお得である。

日本の仏教カテゴライズ

最近日本仏教について簡単にまとめた本を読んだのでまとめてみる。

日本仏教はおおまかに4つの系統に分類される。

1:法華信仰

2:密教

3:浄土信仰

4:禅宗

 

それぞれどういったものなのか、ざっくばらん、適当に説明して行く。

 

1:法華信仰

最澄天台宗日蓮日蓮宗が代表の法華信仰とは以下の感じの信仰である。

①誰でも成仏できるよ

②そのために社会活動・修行がんばろう

③仏様も見守っているよ!

①のように誰でも成仏というのは画期的だった。身分関係なく成仏できるという点は多くの人から支持された。

また、成仏のために、自己・他者の両面から修行を積む菩薩行が推奨された。修行というと禅を組むとかお経を唱えるということが思い浮かぶだろう。しかし、それらは自分が成仏するための行為という点で自利であり不十分、本当に成仏したいなら利他の精神も持つべき!というのが②だ。そのため、法華信仰をもつひとはボランティアとか社会活動に精力的である。

③はお釈迦様が常に見守っているから、一人じゃない!という励まし的な意味合いである。

まとめると、以下の感じ。

どんな人でも成仏できる。だから自分でも頑張れば成仏できるのだ。自分の精進に加え、他者を助けて行こう。その頑張りはお釈迦様が見守ってくださる。明るくポジティブに頑張ろう!

 

2:密教

その名の通り秘密の教えである。日本仏教では空海真言宗が代表選手だ。

密教の売りは「神秘体験」である。ほにゃららソワカとかいった呪文(真言)や、壮麗な儀式、紋様等を用い、人々を魅せるのだ。

およそ人には理解できない呪文、儀式、紋様をなぜ用いるかというと、神仏の力を借りるためである。人の身である自分の力だけだと厳しい→神様仏様のマジカルパワーで解脱しちゃおう!ということだ。

現代でも一子相伝とか奥義とかいった響きには惹かれる人もいるだろう。奥底に眠る真実とか、悟りとか。こういったのは密教的ということができる。

 

3:浄土信仰

浄土とは、仏様の治める世界である。よく天国と勘違いされるが、実際は異なる。仏教の目的は解脱(輪廻からの脱却)であり、天国にいくことではない。

浄土とは、「成仏しやすい」世界である。そこでなら人の欲望は自然と抑えられ、修行に励みやすいのだ。仏教では何度も転生を繰り返して少しずつ成仏に近づくという基本認識が有る。その中で浄土はいわば成仏1歩手前のボーナスステージである。

浄土信仰は成仏へのマイルストーンとして浄土世界への転生を提示したのだ。

浄土信仰の特徴として、念仏の重視がみられる。お経唱えておけば十分、他に社会奉仕活動とか祭礼とかいらないよ、ということだ。仏様がおこなった行為のうち、お経に焦点を当てた。お経を唱えていると仏様が救ってくださるんで何とかなるんでお経だけ頑張ろうというのだ。

こうして書くといい加減な印象を与える。だが、自分の力だけでの成仏をあきらめ、他力も必要としたところに悟りがあるのが浄土信仰の論理だ。たしかに何でもかんでも自分でできる、と思っているよりは悟っているかもしれない。

また、時は武士の時代となり、戦乱がより身近な世の中である。そんな不安定な中で厳粛な修行を積むのはかなり難しかった。今で言うと、月200時間労働のブラック企業勤務者に対して、ボランティアや毎日1時間のお祈りを強いるのは酷な話である。そのような人々から浄土信仰は多いに信仰された。

 

4:禅宗

時は戦国、武士に大いに支持されたのが禅宗だ。

浄土信仰がお経を重視したように、禅宗は座禅に焦点を当てた。その心は体験・実践である。

たとえ話として、月を指差して教えると、あれが月だと理解はできるが、月になることはできない、といわれる。つまり、仏様の教えを教えられて理解しても、真の体現は実践でしかできないよ、ということである。

では実践とは。そう、座禅である。仏様も実際に行った座禅を自らも行う事で、言葉の上だけだなく、心の底から成仏へ近づこうということだ。

禅は、一人でも行え、心を落ち着ける効果があったので、死と隣り合わせの武士たちに広く信仰された。禅宗もまた、戦乱の世であっても比較的簡単に実践できるため、ありがたい教えであったのだ。

 

以上、日本仏教についてまとめてみた。

学生のときは、お経を唱えるだけなんて...と思っていたが,確かに生活が不安定の中で修行は非現実的だ。いい加減にみえるこれらの教えも心の弱さを補ってくれるありがたい存在であったのだと、認識を改むる良い機会であった。

アルパカ

アルパカという生き物について始めて知ったのは6〜7年前だったであろうか。

アルパカはクラレのイメージキャラクターとして有名である。2007年あたりからCM出演しているらしい。前はあんまり知られていなかったが、最近は好きという人も多く、いくぶんメジャーな動物になった。

何を隠そう私もアルパカ好きである。あのもこもこ・ふわふわな毛なみと、のんびりとしていてどこか気だるげなまなざしがたまらない。皆さんにもあの可愛さを知ってもらいたい。

 

「アルパカ好きだけど生で見た事ないなぁ」という方におすすめの場所がある。

アルパカだらけの牧場として有名な那須アルパカ牧場だ。

そこのアルパカたちは警戒心がうすく、こちらがえさを持っているとえさをもらおうとどんどん近寄ってくる。柵に何頭も並ぶので、まるでお出迎えされている気分である。たまらん。

さらにたまらないことに、このアルパカ牧場の敷地内には300円の餌代で、こどものアルパカとふれあえる広場がある。

ふれあい広場という名前そのコーナーは、柵の中に三頭の子アルパカがおり、15分程度独占的にふれあえるというサービス内容だった。

私が訪れた時には、ふれあい広場に入ると、子アルパカが「えさをもらえる!」と近寄ってくる。

これが何とも可愛い。そして、手のひらにのせた餌がなくなると、人間にはもう用無しとばかりに私のもとから去って行く。人に同じ事されたら久々にキレちまったよ案件だが、アルパカならこの欲望に忠実なところも愛らしく感じる。可愛いは正義とはこのことか。

その後も餌を手のひらに用意すると三頭がワッと集まってくる。無くなると去って行く。そんなことを何回か繰り返しているとあっという間に時間は過ぎいった。皆さんもアルパカ牧場に行く機会があればぜひともふれあい広場を体験してほしい。

 

 

アルパカ

アルパカという生き物について始めて知ったのは6〜7年前だったであろうか。

アルパカはクラレのイメージキャラクターとして有名である。2007年あたりからCM出演しているらしい。前はあんまり知られていなかったが、最近は好きという人も多く、いくぶんメジャーな動物になった。

何を隠そう私もアルパカ好きである。あのもこもこ・ふわふわな毛なみと、のんびりとしていてどこか気だるげなまなざしがたまらない。皆さんにもあの可愛さを知ってもらいたい。

 

「アルパカ好きだけど生で見た事ないなぁ」という方におすすめの場所がある。

アルパカだらけの牧場として有名な那須アルパカ牧場だ。

そこのアルパカたちは警戒心がうすく、こちらがえさを持っているとえさをもらおうとどんどん近寄ってくる。柵に何頭も並ぶので、まるでお出迎えされている気分である。たまらん。

さらにたまらないことに、このアルパカ牧場の敷地内には300円の餌代で、こどものアルパカとふれあえる広場がある。

ふれあい広場という名前そのコーナーは、柵の中に三頭の子アルパカがおり、15分程度独占的にふれあえるというサービス内容だった。

私が訪れた時には、ふれあい広場に入ると、子アルパカが「えさをもらえる!」と近寄ってくる。

これが何とも可愛い。そして、手のひらにのせた餌がなくなると、人間にはもう用無しとばかりに私のもとから去って行く。人に同じ事されたら久々にキレちまったよ案件だが、アルパカならこの欲望に忠実なところも愛らしく感じる。可愛いは正義とはこのことか。

その後も餌を手のひらに用意すると三頭がワッと集まってくる。無くなると去って行く。そんなことを何回か繰り返しているとあっという間に時間は過ぎいった。皆さんもアルパカ牧場に行く機会があればぜひともふれあい広場を体験してほしい。